では、以下の内容に相応しい記事タイトルを。異常は、警報では始まらなかった。
数値の、わずかな遅れだった。
閉鎖系第三区画。
模擬海洋ユニット。
水は透明だった。
設計通りに。
流速、正常。
塩分、安定。
温度、誤差なし。
すべてが、正しく動いている。
それでも、何かが遅れていた。
「分解が、追いついていません」
オペレーターが言った。
有機物負荷のグラフが、なだらかに上昇している。
急激ではない。
異常と呼ぶには、あまりにも静かだった。
「投入量は?」
「予定通りです」
「分解系は」
「正常に稼働しています」
久瀬は、画面を見た。
正常の中で、何かがズレている。
「拡大しろ」
微視モードに切り替わる。
そこには、確かにいる。
細菌群。
シアノバクテリア。
微小真核生物。
すべて、投入されている。
だが。
動きが、薄い。
「……密度は?」
「設計値と一致しています」
「じゃあ、なぜ」
言葉が途中で止まる。
画面の中で、
有機物が、沈んでいく。
分解されないまま。
「バイオフィルムは?」
別画面。
構造材の表面。
本来なら、薄い膜が形成され、
循環を支えるはずだった。
だが、そこには―
「形成されていません」
沈黙。
そのとき、別のアラートが入った。
「第二区画でも同様の傾向」
「第三、第四でも確認」
久瀬は立ち上がった。
「現物を見に行く」
通路は、静かだった。
機械音だけが、規則的に響いている。
観測窓の前で、足を止める。
模擬海洋。
完璧に制御された、小さな海。
そこには、何も起きていないように見えた。
だが。
水が、違う。
濁ってはいない。
だが、軽すぎる。
「……浮いている?」
久瀬は、手元のタブレットを操作した。
粒子密度分布。
本来、連続しているはずのグラフに、
わずかな抜けがある。
「……ここだ」
層が、存在していない。
彼は、視線を上げた。
水の中を、見つめる。
見えない。
だが、わかる。
そこにあるはずのものが、ない。
「減っているのか?」
背後の技術員が答える。
「いえ……」
一拍。
「消えているわけではありません」
「じゃあ、どこに行った」
答えは、すぐには返らなかった。
その代わりに、
別のデータが表示された。
外部海水サンプル。
湾岸研究所からの最新ログ。
微生物密度。
急激に、低下。
同時刻。
久瀬は、ゆっくりと振り返った。
「……一致している」
内部と外部。
両方で、
同じ現象が起きている。
だが、意味が違う。
外では、上昇している。
内では、成立していない。
「流出は?」
「確認されていません」
「封鎖は完璧です」
つまり、外へ逃げたわけではない。
それでも、いない。
久瀬は、もう一度、水を見た。
完璧な環境。
すべてが揃っている。
それでも、
ここでは、生きていない。
「……違う」
小さく、言った。
「入れても、足りないんじゃない」
誰も、動かなかった。
「これは……」
言葉を探す。
そして、
「……残っていないんだ」
そのとき、上空観測のデータが更新された。
縦の構造。
増加。
誰かが、小さく呟いた。
「……吸い上げられている?」
久瀬は、否定しなかった。
ただ、画面を見続けた。
内側の海と、外側の空。
その二つが、同じ現象の表裏であることに、
彼は、まだ言葉を与えられずにいた。
ただ一つだけ、確かなことがあった。
この箱舟は、閉じている。
そして、外では、つながっている。
