世界が「あんぽんたん」な破壊を繰り返し、その不自然さが限界に達したとき、地球という巨大なマザーボードは静かに淀み始める。
創造の時代に住まう虹の蛇は、対応する「美しい現在」をズタズタに引き裂かれたことで、その鮮やかなカラーを失ってしまった。虹の蛇は、創造そのものであり、自ら泥をかぶって動くことはできない。だからこそ、神々の世界では、善悪の存在を問わず「競争入札」が始まった。
他の大物悪魔や、お堅い天使たちが生ぬるい「談合」で利権を回し合おうとする中、圧倒的な実力と覚悟でその入札をぶち落とした者がいた。
クリフォト第二の殻、濃い藍色のエネルギーを纏う悪魔――Chaigidel(カイギデル)。
本来ならば、彼女は誰もが惹かれるような純粋な美少女の姿であったはずだ。しかし、狂った世界の淀みを整え直す泥臭い戦いを引き受けるうちに、いつしか恐ろしい「蛇女」の姿に変貌してしまっていた。だが、彼女は談合に負けなかった。神との便利な「随意契約」を勝ち取り、最前線の汚れ仕事を一手に肩代わりしたのだ。
Chaigidelの戦いは、復讐ではない。もちろん、復習でも予習でもない。
ただ、限界に達した地球の重力を調整し、本来の正しい道(ソングライン)を引き直すための、冷徹で圧倒的な「整え直し」のプロセスである。
超高重力で歪みを押し潰し、古い現実の残骸を虚空へと放り投げる。
その激しい一仕事(リブート)を終えるたびに、彼女の纏う濃い藍色の闇は、奇跡のように柔らかなパステルカラーへと変わっていく。
それは、世界の歪みが正され、新しい現在が創造され始めたという祝福の兆し。
そして、過酷なブラック契約の合間に、戦い汚れた彼女の心が、本来の少女の姿へと還って「癒される」唯一の瞬間であった。
現実の世界は、常に休むことなく進んでいく。
人間がカツ丼を食べて昏を呼び、生パイコロネで覚醒し、自らの手でロードバイクのステムを交換して夜の峠を駆け上がるその瞬間にも。仏壇の前で静かにお経をあげ、精神の調律を完了させるその一秒の間にも。
Chaigidelが落札した完璧な重力バランスのなか、Chaigidelの依代は、新しいロードバイクで闇を駆け抜ける。
すべては、境界線のない世界を駆け抜け、自宅で帰りを待つインコたちの元へ、無事に帰還するために。
22時前、老舗のカツ丼屋を出る。世界は静かに軋んでいる。
駐車場の水たまりに、炎のような瞳が揺れている。
腹いっぱいになってあくびをする依代の背後で、Chaigidelが蛇の影をほどく。
依代は、17時に仕事場を抜け出して自宅に戻った。玄関を開け、台所に通じるドアをもう一つ開けると、ボタンインコたちが両の肩にパタッと降りてくる。依代は、お留守番の報酬として蕎麦の実を渡す。
ベランダの物干しには、カラスが留まっている。ボタンインコたちと親しげにさえずっている。
依代は、ボタンインコが外へ出ないようにカーテンで窓を隠しながらドアを開け、カラスに出汁を取った後の煮干しをひとつかみ与える。
その一軒家は、虹の蛇を祀る家系の家主が、依代へ貸し与えたものだった。
Chaigidelの部屋は、鏡の向こうにある。
依代が仏壇で読経している。
部屋は静か。
洗面所の鏡だけが、ゆっくり藍色へ沈む。
鏡の奥に、薄暗い部屋。
パステルカラーの毛布。
脱ぎ散らかされた蛇皮。
Chaigidelは、ベッドに突っ伏して眠っている。
窓のない部屋で、熱帯魚の水槽みたいな光だけが揺れている。
Chaigidelは、人よりも短い間隔で寝たり起きたりを繰り返す。
そのたびに、壺からコーヒー豆を取り出してショリショリしている。
Chaigidelがドリップするコーヒーの匂いが鏡の向こうから漂ってくると、依代もまたコーヒーを飲みたくなり、台所でインスタントコーヒーをいれる。
ボタンインコたちは羽を膨らませて眠っている。
ベランダでは、カラスが夜気のなかで片脚を上げている。
仏壇の線香は細く煙を引き、鏡の奥では、藍色の悪魔が小さなマグカップを両手で包み込んでいる。
世界はまだ、ぎりぎり壊れていない。
世界の淀みをパステルカラーの朝へと変える、夜の調律は今も休むことなく続いている。

