6話:駄菓子屋

境界の食卓

赤嘴のボタンインコが、布を掛けた籠の中で小さく鳴いた。
ピチョ。
真壁円は目を開ける。
障子の向こうは、もう白い。
夏の朝は早い。
布を外すと、赤嘴のボタンインコがすぐに止まり木から飛び立った。
隣の部屋では、青いボタンインコの籠からも小さな羽音が聞こえる。
こちらは少し慎重だ。
布が外されても、しばらく様子を見てから外へ出る。
円は二羽の籠の扉を開けた。
放鳥部屋の中を、小さな影が交差する。
この部屋があったから、この家を借りた。
地下に虹蛇が棲んでいることよりも、毎日安心して放鳥できることの方が、
円には大切だった。

財布を開く。
千円札が二枚。
五百円玉が一枚。
あとは小銭が少し。
今日は朝市の日だった。
肩へ赤嘴のボタンインコが降りる。
青い方も同じ場所に降りようとして、朝から
嘴をカチャカチャぶつけあっている。

「行ってくる。」

二羽は、それぞれ小さく鳴いた。
ベランダには、もう黒いカラスが来ていた。
円が窓を少し開けると、首を傾げる。

「帰ったらね。」

カラスは返事をするように首を少し下に向けた。
玄関を出る。
朝の空気は涼しいというほどではない。
昨日の暑さが、夜を越えて少しだけ残っている。
駅前へ近づくと、「朝市」と書かれた幟が見えた。
幟は六本。
店は三軒。
野菜。
魚。
漬物。
三つ並んでいる。
円は野菜売り場で足を止めた。
レッドオニオンが、浅い木箱へ並んでいる。
赤紫色の皮が朝日に少し光った。
一つ手に取る。
重さを確かめる。
『赤玉ねぎだ。』
脳の奥で、カイギデルが言う。
「レッドオニオン。」
『同じだ。』
「書いてあるから。」
『赤い。』
「そうだね。」
円は、二つ籠へ入れた。
カルパッチョにしよう。
冷蔵庫に、半額シール付きのモッツァレラチーズがある。
魚売り場で白身魚を一柵選ぶ。
店員は何も言わない。
円も何も言わない。
白い発泡スチロール箱が奥へ運ばれていく。
少しして、魚屋の店員が空になった台車を押しながら、野菜売り場の奥へ入っていった。
円は何となく、そのあとを目で追う。

三軒の店は、互いに背を向けるように建っていた。
それぞれ入口は、かなり離れているし装いもまったく違う。
野菜屋には緑色の暖簾。
魚屋には青い庇。
漬物屋には木の看板。
けれど、奥は、暗くつながっていた。
一本の建物だった。

『少し、こっちだ。懐かしい』

「え?まだあるの?」

『ああ』

円は買い物袋を持ち直した。
魚屋と野菜屋の間の細い通路へ入る。
昼でも、けっこう暗い。
天井は、かなり低く、古い梁が頭の上を横切っている。
木の柱は何度も塗り直され、色が重なっていた。
奥から少し甘い匂いが流れてくる。
角を二度ほど曲がると小さな店があった。
駄菓子屋だった。
棚には紙風船。
動物の消しゴム。
ガラス瓶へ入った飴玉。
色の褪せた小さな箱。
円はゆっくり棚を見る。
手のひらほどのブリキの小鳥が目に留まった。
羽を広げた形の、小さな玩具だった。
思わず笑う。

「……これ、かわいい。」

店番の女性は柔らかく頷いた。

「そうでしょう。かわいいものは、売れ残るんだよ。」
それだけだった。
円はブリキの小鳥を手に取る。

「これ、一つ。」

女性は紙袋へ入れた。

「ありがとう。中にチョコレートが入っているから食べてね。」

円は小さく頷く。
店を出る。
通路を戻る。
明るい朝の光が差し込んだ。
振り返る。
そこには魚屋の搬入口があるだけだった。
円は少しだけ首を傾げた。

「こんなところ、あったかな。」

『あった。』

「知ってるの。」

『昔から。』

それ以上、カイギデルは何も言わなかった。
資料館へ着く。
開館前の静かな時間だった。
買った魚は給湯室の冷蔵庫へ入れる。
レッドオニオンは机の隅へ置いた。
ブリキの小鳥は引き出しへしまう。

夕方。
家へ帰ると、ボタンインコたちが肩へ飛んできた。
ベランダではカラスが待っている。
今日は煮干しを三本。
器用に咥え、満足そうに喉を鳴らした。
読経を終える。
洗面所の鏡が、ゆっくり藍色へ沈んでいく。
鏡の向こうでは、カイギデルがコーヒー豆を挽いていた。
ショリ、ショリ、と静かな音がする。
円は台所へ立った。
レッドオニオンを薄く切る。
冷たい水へさらす。
白身魚を削ぐように切り分け、皿へ並べる。
水気を切ったレッドオニオンを散らす。
塩。
黒胡椒。
オリーブオイル。
冷蔵庫からトマトを一つ取り出す。
薄く切って皿へ並べる。
モッツァレラチーズをトマトの上に置く。
円は、1枚の皿に並べてテーブルへ置いた。
少しだけレモンを搾った。

「できた。」

『赤玉ねぎだ。』

「レッドオニオン。」

『赤い。』

「うん。」

『玉ねぎだ。』

円は笑う。

「そうだね。」

二人はそれ以上、その話をしなかった。
カルパッチョを口へ運ぶ。
玉ねぎは少しだけ甘かった。
鏡の向こうから、深く焙煎したコーヒーの香りが流れてくる。
食後、円は買ってきたブリキの小鳥を棚へ置いた。
青いボタンインコが近づいて、そっと嘴でつつく。
小さく鳴った。
金属の澄んだ音が、静かな部屋へ細く残った。

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