犬は既に死んでいる。
つまり、
ちゃんと生きて、
ちゃんと老いて、
ちゃんと死んだ。
春の匂いを嗅ぎ、
夏の庭で眠り、
秋の風を追いかけ、
冬の炬燵の熱を覚えた。
嬉しい日は尻尾を振り、
悲しい日は玄関で待ち、
腹が減れば飯を食い、
眠くなれば眠った。
世界が何であるかなど知らない。
神も知らない。
悪魔も知らない。
終末も知らない。
ただ、好きな人の帰りを待っていた。
そして、
待ち続けたまま老いた。
白くなった口元で飯を食い、
少しずつ歩く速度を落とし、
やがて静かに眠った。
昨日は今日になり、
今日はいずれ明日になった。
それを疑わなかった。
犬は循環を信じていたのではない。
循環の中で生きていた。
だから死は終わりではなく、
長い散歩の帰り道のようなものだった。
虹蛇は知っている。
今では珍しいことだと。
世界は形を変え続け、
名前を変え続け、
意味を変え続けている。
だが犬は変わらなかった。
子犬の頃から、
老犬になるまで、
ずっと犬だった。
だから虹蛇は、
疲れた日に犬を探す。
庭の日向に寝転びながら、
もういない犬と話をする。
犬はいつも同じことしか言わない。
「円は元気か」
虹蛇は答える。
「ああ、元気だ」
犬は満足そうに目を細める。
それだけでいいらしい。
世界が崩れようが、
名前が失われようが、
季節が別の季節へ変わろうが、
犬にとって大切なのは、
今日も円が飯を食っていることだけだった。
そして虹蛇は思う。
もしかすると、
世界を繋ぎ止めていたのは、
神々ではなく、
こういう当たり前の存在だったのかもしれない、と。

