「なぜ『ちいかわ』はかわいいのに怖いのか──ジョジョと比べて見える世界構造」

漫画やアニメには、それぞれ固有の世界観があります。しかし本当に作品の個性を決めているのは、キャラクターの見た目や設定だけではなく、その世界がどのような構造で成り立っているかという点ではないでしょうか。

その意味で、「ジョジョの奇妙な冒険」と「ちいかわ」は、きわめて対照的な作品かもしれません。前者は強い意志、明確な目的、はっきりした因果によって駆動する物語であり、後者は断片的な日常、不安定なルール、理由の見えない不条理によって形作られています。

一見すると、この二つを並べて論じるのは奇妙に思えます。しかし、両者を比較すると、単なる作風の違いではなく、「生の世界」と「幽界のような世界」の差が見えてきます。

「ジョジョの奇妙な冒険」は、きわめて強い物語構造を持った作品です。敵がいる。目的がある。戦う理由がある。誰かの決断が結果を生み、その結果が次の行動を呼ぶ。物語がつねに前へ進む。そこでは死すらも、単なる出来事ではなく、意味を持つ契機として扱われます。

たとえばブチャラティという人物は、その象徴的な例でしょう。彼は「生きているのか、死んでいるのか」という境界の上に立つような存在として描かれる場面があります。心臓は止まり、肉体は死に向かっています。それでもなお動き、仲間を導き、最後には自らの役割を果たして物語を退場します。彼の状態は奇怪でありながら、物語上は、きわめて明快です。彼は何のために留まり、何を託し、どこで完全に終わるのかが、ドラマとして整理されています。

ここにジョジョの奇妙な冒険の本質があります。どれほど奇妙な現象が起ころうとも、それは「意志」と「運命」の線上に配置されます。死は無意味に漂わず、必ず誰かの覚悟や継承に接続されます。つまりジョジョの世界とは、究極的には生者の論理でできた世界なのだ。そこでは、たとえ死者めいた状態で動く人物がいても、その人はなお「意味」の側にいます。

これに対して「ちいかわ」の世界は、まったく別の手触りを持ちます。もちろん、可愛らしいキャラクター、ユーモラスなやりとり、日常的な小さな喜びはあります。しかし、その背後には、説明しがたい不安が沈んでいます。

何故、あの世界には怪異めいた存在がいるのでしょうか。なぜ労働のようなものがあり、資格試験のようなものがあり、報酬や生活の苦しさがあるのでしょうか。キャラクターたちはそもそも何者で、どのような社会の中で暮らしているのでしょうか。その基本的な輪郭が、いつまでたっても明かされないままです。

ここでは物語が大きな目標へ向かって直進しません。日常の一場面があり、急に危険が訪れ、また別の穏やかな場面へ移ります。断片が断片のまま続いていくのです。読者は世界の全体像を知らされないまま、そのつど局所的な出来事だけを見せられます。ですから、この作品は、かわいいだけでは終わりません。世界が分からないことそのものが、不気味さを生んでいます。

この感覚は、現実では、夢に近いかもしれません。夢の中では、場面が唐突につながり、理由の分からない脅威が現れ、しかしそれを当然のように受け入れてしまいます。「ちいかわ」の世界にも、それと似た質感があります。理不尽なものが理不尽なまま存在し、登場人物たちはそれを根本から変えることが出来ません。

だからこそ、この世界を「幽界」に近いものとして読む見方には、説得力があるように思えます。幽界とは、単に死者がいる場所というだけではありません。そこは、しばしば、時間が曖昧で、目的が希薄で、出来事の因果が弱く、ただ状態だけが続いていく場所として想像されます。そこでは壮大な成長譚や英雄譚よりも、終わりの見えない漂泊や反復のほうがふさわしいのです。

そのような観点から見ると、「ちいかわ」の世界はきわめて幽界的です。かわいい姿の存在たちが、理由を十分には理解しないまま働き、怯え、食べ、眠り、また次の日を迎えます。大きな目標は、ありません。もちろん、描かれないだけで、あるのかもしれません。世界の全貌も示されません。ただ生のようなもの、生活のようなものだけが、ぼんやりと続いていきます。この「続いてしまう感じ」は、英雄的な生の物語というより、むしろ死後の薄明るい持続を思わせます。

対してジョジョの奇妙な冒険は、どれほど幽霊や死者に近い状態が描かれても、決して幽界の物語にはならないのです。なぜならそこには常に、目指すべき方向があり、倒すべき敵があり、貫くべき意志があるからです。ジョジョの奇妙な冒険の死は、漂う死ではなく、つねに何かを完結させ、次へ渡す死です。そこにあるのは、死の顔をした生の劇と言えます。

この二つを並べると、作品の「怖さ」の質も見えてきます。ジョジョの奇妙な冒険が怖いとき、それは強大な敵や苛烈な運命の怖さです。しかし、ちいかわが怖いときは、それはもっと輪郭のぼやけた、説明できない怖さです。何が起きるか分からないというより、なぜこんな世界なのか分からないという種類の怖さかもしれません。そして後者のほうが、実はずっと根源的なものではないでしょうか。

「ジョジョの奇妙な冒険」は、意志と因果によって前進する「生の物語」です。「ちいかわ」は、断片と不条理のなかで持続する「幽界の物語」として読むことができます。もちろんこれは一つの解釈にすぎません。けれども、ちいかわのあの妙な不安、かわいいのにどこか底知れず怖い感覚を説明しようとするとき、「幽界」という言葉は驚くほどよく似合うかもしれません。

もしかすると私たちは、「ちいかわ」の中に、現実社会の縮図だけでなく、もっと古くて曖昧な、死後世界のイメージまで見ているのではないでしょうか。そう考えると、あの作品の可愛さは単なる癒やしではなく、薄暗い深みをたたえた、不思議な光に見えてきます。

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